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エヴェレスト街道:1  カラパタール

 

エヴェレスト街道:1   日没の輝き エヴェレスト南壁

 

 

 

 

 

エヴェレスト街道:1   カラパタールの丘東面の眺望
       ローラ       エヴェレスト                                  ヌプツェ
   Lhola 7268m     Everest 8848m                             Nuptse 7855m

 

   

 

エヴェレスト街道:1  カラパタール西面  (チュンブー Chmbu 6870m)
   

 

 

エヴェレスト街道:1  カラパタールの丘東面2景

           ローラ         エヴェレスト                                                ヌプツェ
        Lhola7268m  Everest 8848m                              Nuptse 7855m

 

 

 

 

エヴェレスト街道:1   夕日に輝くローラ(左)とエヴェレスト

   

  ヒマラヤの魅力は氷雪が織りなす景観にある、標高5000m以上では一層際立ち異界を思わせる。エヴェレスト街道の旅は異界を求めての旅だ。此処にエヴェレスト街道の旅を物語風に編んだ。物語はカラパタールから編み終着点を先に置いた。山の話では「山名表記」が大切だ。山座の同定には「ヒマラヤ名峰事典」平凡社1996年初版を用いた。此の地での山名は現地語(チベット語・ネパール語)と英語等々が混在する、標高に付いては、文献の種類や現代のGoogle Earthで微妙に違う、之等を統一する意味で上記のヒマラヤ名峰事典を用いた。地図は「Google Earth Pro 2018」から当該画像を拾い、之を立体化して用いた。ヒマラヤの地図は、ヒマラヤ山脈の8000m峰を結ぶ稜線が国境線であり、北側はチベット(中国領)だ、中国政府は稜線を軍事境界線としチベット側の地図は機密としている。国境の警備も厳重だ。一見平穏な山岳風景の陰に物騒な軍事情勢が潜むのが、此処ヒマラヤだ。撮影は2005年10~11月、全編フィルム撮影、このスタイルは此の時が最後となる。振り返れば一つの時代が終った時だ。思えばこの時期は、2001年9月11日のニューヨーク及び全米同時多発テロ事件、此の事から派生する2003年3月のイラク進攻の悪夢から覚めない時期であり、欧米人が、ヒマラヤから消えた特異な時期だ。ヒマラヤの玄関口ネパール及びカトマンズではこの時期、内戦、毛沢東派台頭、アメリカの武器支援、2001年のネパール王族に対する殺害事件、国王交代、戒厳令、治安悪化、ストライキ、重武装の軍による首都警備等々と、いささか物騒な日々が続き、ヒマラヤ入域には、安全確保の為にコストの加算を余儀なくされた時期であった。更に悪夢は重なり、2015年4月25日のM7.8のネパール地震は、首都カトマンズを初めヒマラヤ山脈中央部のランタン谷からエヴェレストのあるクーンブ山域に及ぶ広域を破壊した。東京地学協会春季講演会(2017年6月10日)(click)はこの時のメカニズムを数多くのデータと図を用いて詳しく報告している。平穏な筈のヒマラヤの舞台裏は賑やかだ。今はエヴェレスト街道では喫緊の課題として、温暖化による氷河の後退、氷河湖の水位上昇による湖崩壊が危惧されている。危惧が現実化すればエヴェレスト街道の村々は水流に呑まれ、消滅し、山道は寸断される。JAXAの地球観測衛星に依る報告書(click)は決壊の懸念を警告している。

 

 

 

エヴェレスト街道:1   ゴラクシェブから眺めたカラパタールの丘
 
 
    上図はゴラクシェブから見上げた赤肌のピークのカラ・パタールの丘(5545m)だ、ピーク背後の雪山はプモリ(7161m)、其の右はリントレン(6714m)だ。これ等の概念図は下記になる。
 
 
 
 
 
エヴェレスト街道:1  カラパタールを囲む名峰群(11座)
 
 
   上はカラ・パタールの丘を中心としたエヴェレスト街道終着部の鳥瞰図だ。図は此の地をGoogle Earthで上空8Kmから見、立体化し作った。図からカラ・パタールはプモリ(7161m)の南陵である事が分かる、カラ・パタールの東側にはエヴェレストからのクーンブ氷河が奔り、西側にはプモリからの氷河と、クーンブ・ツェ(6639m)からの氷河が奔るのが見て取れる。カラ・パタールの丘は氷河が削り出した孤島である事も見て取れる。図中の主稜線上の黄色線は国境線で、線の北側はチベット(中国領)だ。国境線上にはエヴェレスト(8848m)、ローツェ(8516m)、マカル―(8463m)の8000m峰3座がある。ヒマラヤの8000m峰14座の内3座がここにある。エヴェレストの北側は前章の「チベットのヒマラヤ」 11巻12巻13巻 (各click) に紹介してある。更に稜線の北西20kmにあるチョーユー(8201m)は 14巻 (click) に、70kmにあるラプチカン山群は 16巻 (click) に、北西120kmにあるジュガール・ヒマール山群及びシシャパンマ(8013m) は 1巻2巻3巻4巻5巻6巻8巻 (各click) に詳しく紹介してある、之等はいずれもチベット側から撮影したものだ。チベット側の環境とエヴェレスト街道側の環境は、同じヒマラヤで有りながら、違う。エヴェレスト街道はネパール側にあり、過って大英帝国が隣国のインドを植民地支配していた事もあり、ネパール側のヒマラヤには西欧文化が多大に影響している。西欧指導で切り開かれた登山基地・トレッキング街道であるエヴェレスト街道は、今日では商業街道であり、生活感に乏しい。「チベットのヒマラヤ」全23巻に見る、剥き出しの自然環境を生きるチベットの人々の姿とはいささか違う、絵柄を見るとそれは一目瞭然だ。
 
エヴェレスト街道:1   タンカ(祈願旗)光るカラパタール西面
 

 

 

 

 

                         エヴェレスト
                           Everest 8848m

 

 

 

エヴェレスト街道:1   ボッカ(歩荷)がエヴェレスト観光を支える

 

 

 

 

 

エヴェレスト街道:1   カラパタール西面

 

   カラ ・パタールの丘西側は鋭角に切れ落ち、崖下は崩壊激しい氷河原だ。崖下はプモリ(7161m)からの氷河とチュンブー(6870m)からの氷河が衝突する位置に在り、其処では氷河が岩を噛み、荒涼とした風景を生んでいる。カラ・パタールの丘は剥き出しの岩と、モレーン(氷河で削られた岩屑)から成る丘だが、丘の西側は、不安定な岩の堆積から成るガラ場の崖で、垂直に切れ落ちる。崖下の氷河からは、上昇気流が常に吹き上げ、周囲を浸食している。強い太陽光と寒暖差と風雪による浸食が生む風景は、賽の河原を思わせる。土地の人は、チベット仏教の作法でタルチョ(5色の祈願旗)で天地を鎮めている。

 

 

エヴェレスト街道:1  カラパタールからの眺望・東面~北面

   上の2図はカラ・パタールの丘(5545m)の東面から北面にかけての眺望だ。図の、下図(眺望図 :1)は、カラ・パタールの基部で、下にはデブリ(氷河堆積物)に埋もたクーンブ氷河が奔る。上図山座表記「6:チャンツエ(Chancse 7580m)」は、チベット側(中国領)の山だ。国境線は山頂1~5~7~8を走る。上図 (眺望図:2)は丘の上からのパノラマ図で、3画面を配置し作成した。丘の上からの眺望は素晴らしく、ヒマラヤ展望のメッカと成っている。

 

 

 

エヴェレスト街道:1   夕日に輝くヌプツェ ヌプツェNuptse 7855m)

         


工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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