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チベットのヒマラヤ:8

 

 

 上図2点はカンペンチン(7281m) シシャパンマBC・標高5000mからの眺望。10月末。

 

  下図は上図の北30kmのぺク・ツォ(湖)標高4600mに近い平原部。午后天候が急変し青空が雲に呑まれて行く、左隅の山稜の白い部分は降り始めた雪だ、山裾の土漠の平原は強烈な日射しで鏡の様に光る、湖面の様に滑らかだ、過っては此処も水面下で在ったのだろう。画面に入らない左隅側は暗闇と雨だ。チベットにはよくある光景だ。8月中旬。

 

 上図の更に東30kmの位置にあるラルン・ラ(峠)5000mから眺めたラプチカン(7367m)が下図だ。手前の無数のコブは標高5500m程、このコブ山群がラルン・ラ(峠)からラプチカンまで延々と41km続く (ちなみに北アルプスの剣岳~西穂高の直線距離は38Km)。写真は望遠レンズで撮影のため、画像は圧縮され距離の実感が無い。チベットは空気が希薄な上に低緯度の太陽光に炙られ乾燥し、湿度は極めて低く、視界の透明度が良好なゆえ、この様な現象を生む。之は撮影にとっては有利で、日本では考えられない空気の透明度だ。北アルプスの剣岳から西穂高岳を撮影して此の様にクリアには写らない。どの様なレンズを使っても無理だし、剣岳から西穂高の視認すら困難だろう。コブ山の波は死の世界に見えるが、実は植物が沢山、根を深く張り、台地にしがみ付く様に生きている。更には、ラプチカン山裾の画面左下隅奥の標高5000m域には集落も寺院もある。チベットの持つ生命力には敬服する。10月末。

 

 

 

 下図は、上記のラプチカンの北側40Kmにある湖水帯の景観、渡り鳥が羽を休めている。ラプチカン山群は北側に氷河を抱え、この氷河の流れが要衝の町テンリ―の西側に大小の湖を生んでいる。湖畔の遺跡の様な土柱は、過ってはチベットを守備する堂堂の要塞であった、この建物が、1903~4年のイギリス軍侵攻で破壊され、今日痕跡としてたたずんで居る。チベットの悲劇を今に残す痛々しい姿だ。

 

 

 

 

 

 上図は此処でテーマの山域に在る峠の位置図だ。下図の7点はラルン・ラ(峠)の北90Kmのツェ・ラ(峠)標高4500m周辺の景観で、この辺りは乾燥チベットの常識を覆し、湿潤に富んだチベットの貌を見せ、チベットの多様性や生命の強靭さを教えてくれる地だ。いずれも盛夏8月初旬の絵柄、チベットでは朝晩は8月にも雪が降る。 

 

 

 

 

 下図2点は、上記7点のツェ・ラ(峠)の東160Kmに位置するツォ・ラ(峠)からの眺望、峠の標高はどちらも4500mだ。絵柄の中央にはには緑に囲まれた小さな集落が見える。チベットでは平地が有ればどの様な山奥にも人は暮らす。周囲は山また山の隔絶の地だ。下2番目の図では台地に低い電柱が並ぶのが見える、之は光ファイバーの通信線だ、しかも軍用の。此の絵柄以外にもよく見ると低い電柱の列ある。山また山のチベットには無線通信の伝送能力は適さない、更に傍受のリスクも有る、故に光ファイバーだ。チベットは北京政権の軍事的管理下に在り、剥き出しの軍施設に度々出会う。

 

 

 

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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