白岩吉明オフィシャルサイト、山岳写真ネットギャラリー、「内陸アジアの貌・フンザ物語・横断山脈・ウイグルの瞳」「エヴェレスト街道」「チベットのヒマラヤ」「ランタン谷」「黙示録」「

 

 
 
 
 
 

チベットのヒマラヤ:6

 

 上図はシシャパンマBCからのジュガールヒマールの眺望と山名だ。この山域はランタン・ヒマールと一体で、山岳書では 「ランタン・ジュガール・ヒマール」 として紹介されている。ランタン・ヒマールに付いては、此の編23巻の後ろに「ランタン谷物語・全12巻」とてUp済みだ。本編のジュガール・ヒマールはチベット内に全域が在り、チベットのヒマラヤだ。チベットのヒマラヤとは変な言い方だが、其れには訳が有る。理由は国境線に有る。インド・ネパール・パキスタンの北側に連なるヒマラヤ山脈の、主峰群の稜線上に描かれた線が、今日これら3国と中国との国境線と成って居る。我が国の権威ある山岳書のヒマラヤ地図はいずれも国境線を境に、チベット(中国)側は白紙だ。半身の魚だ。更に白紙の部分にはヒマラヤは無い事のよに扱わていれる。無関心の地にされている。山の地図は測量を基礎に作る。ヒマラヤ地図のベースは世界大戦中に英国主導で作られた、英国は統治下にあるインド・ネパール・パキスタンの測量は出来たが鎖国のチベットの測量は出来なかった。それゆえ国境を境に北側のチベットは白紙と成っている。それを今日に至るも引きずっている (細かく見れば、世界大戦中チベットにヒットラーもスターリンも触手を伸ばし一部調査し地図を作製した様だ、日本陸軍も独自に人材を送り測量や作図をしている、が、実用に給してはいない。今もチベットの地図は北京政府は国家機密とし市民には見せない。) 今日の地図上のヒマラヤの概念は80年100年前のままだ。つまり山岳書の地図は国境稜線の北側は白紙でヒマラヤは無い。地図に無ければヒマラヤも北側には無いものとして扱われている。ナンセンスが今日もまかり通っている。主稜線の南側のヒマラヤも、主稜線の北側のヒマラヤも、同じヒマラヤであり、現に地球上に存在する。時代は Google Earth を生み、地球全域を可視化し、市民のものとしてくれた。地球上の地形の全貌を提供してくれる便利なツールは、前記のナンセンスを一気に解消してくれてた。此処では Google Earth を基準に新たなヒマラヤ論を展開して行く。では、ヒマラヤの北側は何処迄有るのか?は、ヒマラヤ山脈はユーラシア大陸の下に潜り込むインド・プレートの圧力で出来たもの故、潜り込みの境界のヤルン・ツァンポ(河)域と見るのが合理的だ。ジュガール・ヒマールでは100km北に其の地が有る。本編は此の範囲を紹介する。話を初めに戻せば「チベットのヒマラヤ」は、ヒマラヤ山脈主稜線の100Km北側の範囲を指す。

 

 

 上:シシャパンマ(8013m)   下:ゴハルン・ピーク(6671m)  いずれもシシャパンマBCより撮影。

 

 

 

 

 

 上:ダク・ピーク(6346m)   下:ポーラ・ガンチェン(7661m)  いずれもシシャパンマBCより撮影。

 

 

 

 下:ポー・ロンリ(7292m)  シシャパンマBCより撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 上:ポーラ・ガンチェン(7661m) と シシャパンマ(8013m)   下:ランタン・リ(7205m)  シシャパンマBCより撮影。

 

 

 下:カンペンチン(7293m)  シシャパンマBCより撮影。 

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
初心者ホームページ作成