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チベットのヒマラヤ:16

上図はタン・ラ(峠):標高5050mから撮影のメルンツェ(7175m)。此の山はネパールとチベットの国境にあり、ロールワリン・ヒマールに分類される。下図は此処で扱う山々とタン・ラ(峠)の位置関係を見る為に Googl Earth を使い作った。タン・ラ(峠)は西側にシシャパンマのあるジュガール・ヒマール山裾の平野部を持ち、東側はチョーユーのあるクーンブ・ヒマール北西山裾だ、之等東西の低地(4600m前後)を仕切る山脈の一画に在るのがタン・ラ(峠・5050m)だ。下図を見るとこの様子が解かる。タン・ラ(峠)が在る山並みの続きにラプチカン山群(ラプチカン・ヒマール)がある、広義にはタン・ラを含めた地域全体がラプチカン域なのかも知れない。しかし日本のヒマラヤ文献ではこの部分の記述は少なく、独論で先に進む。下図で見られる様に、この地域にはクーンブ、ロールワリン、ラプチカン、ジュガール、ランタン・ヒマールと数多くの山域がひしめき、興味深い地が数多く眠る。地形ばかりか、気象も特殊であり多くを学ばされる。更に、野生動物・高山植物・山岳の暮らしにも未知の世界が山盛りだ。

上図はガウリサンカー(7134m)      下図はラプチカン(7367m)    いずれもタン・ラ(峠:5050m)よりの眺望。

上下共にタン・ラ(峠)の北に在るラルン・ラ(峠:5000m)からの眺望の。   上図:コランマ(6952m)   下図:ラプチカン(7367m)。

タン・ラ(峠)を下り、チベットとネパールを結ぶ古くからの回廊・中尼公路(318号線)を、南に50Km程行き、標高3700mのニャラムの辺りで、深い谷の間からシシャパンマから西に連なるシュガール・ヒマールの端末が見える。下図は其の端末の山、プルビ・チャチュ(6637m)。プルビ・チャチュの絵柄の下の4点はミラレパ寺院(ニャラム・ぺルギェリン)の絵柄。村を眼下に収める谷への傾斜地に寺はある。ミラレパ(1052~1135)はチベットでは最も有名な宗教詩人、ミラレパの10万歌はチベット密教の至宝として知られる。手元には此の中の6千歌の邦訳が有る。千年前、既にこの回廊は活躍していた様だ。が、2005年4月25日のネパール地震は此の回廊の国境帯で崖崩れを多発し、回廊の機能にダメージを与えた。

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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