白岩吉明オフィシャルサイト、山岳写真ネットギャラリー、「内陸アジアの貌・フンザ物語・横断山脈・ウイグルの瞳」「エヴェレスト街道」「チベットのヒマラヤ」「ランタン谷」「黙示録」「

 

 
 
 
 
 

ランタン谷:1

 上:Langshisa-Ri (ランシサ・リ)6427m       

 下:右:Urkinmang (ウルキルマン)6151m/左:Kanshurum (カンシュウム)6078m

 

 

 下:Langshisa Ri(ランシサ・リ)6427m  

 

 上下2点:Ganchenpo (ガンチェンポ)6387m 

 

 ランタン谷を遡上すると谷の奥の院にたどり着く、ランシサ・カルカと言う。此処は大氷河の交点でもある。北からはシャルバチュウム氷河が迫り、南からはランシサ氷河が、東からはランタン氷河が眼前を奔る。これらの氷河群が運ぶ岩や石や砂の台地がランシサ・カルカで、モレーン台地の見本の様な処だ。此処は命に不可欠な鉱物質を含む水が豊富な地でもある。長い年月をかけて氷河が砕いた岩石は微粒子化し、苔の栄養源となり、多種類の苔の命を育む。それの死骸を餌に草が育ち、進化の連鎖は広葉樹にまで至り 動物の生命圏と成って居る。ランタン村の人々はここを夏の放牧地として利用し、大型動物のヤクを放牧している。ランシサ・カルカは周囲360°名峰が囲むヒマラヤ屈指の仙境でもある。雪豹が姿を見せる事もあると云う、実際此の地に滞在中、山域を巡回レンジャーが情報を聴取に訪ねて来た。此処はネパール最深部であり、眼前の稜線の先はチベットであり、人々の宗教様式はチベット仏教だ。

    

 上下2点:Langshisa-Ri (ランシサ・リ)6427m    

 

 ランシサカルカ幕営地の朝。夜半の雪が薄く台地をおおい寒々とした光景だ。眼前のランシサ・リ(6427m)は未だ薄い雪雲を着ている。絵柄の左下隅は石室だ。陽が出ると景色は一変する、低緯度の此の地の太陽光は強烈で、無彩色の世界が極彩色に変わる。

 

 右:Urkinmang (ウルキルマン)6151m/同左:Kanshurum (カンシュウム)6078m

 

 Langshisa Kaharka(ランシサ・カルカ)幕営地にて、標高は4125m、撮影には3脚をレンズとカメラに夫夫設置。

 

 上の写真の撮影風景は、ペンタ67Ⅱ/400mmを三脚2台で支え、三脚の袋に石を入れている様子だ。顔面の覆面は、強い紫外線から皮膚を守る為のもので、サングラスと共に、山岳写真撮影の必需品だ。下写真は寒々とした朝の光景、夕方から未明にかけ乾いた雪が降る。陽が出ると上写真の様に永久凍土上の薄い地表が顔を出す。テントサイト右手に見える山裾はLangshisa Ri(ランシサ・リ)の下部だ、巨体が覆いかぶさるように屹立する。 まさに屹立だ、日本では富士山にしても、山と平地との境界と成る屹立点は無い、此の地では将に屹立している。山裾を流れるのは、ランタン・コーラの流れだ、水量は多く流れも速い、左手が上流で2~300m先が氷河端になる。

 

 上の写真は幕営地の様子、石室は食堂に使う、石室はすき間が多すぎ住めない。居住はテント。現地に任せたら旧式の三角テントとなリ驚かされた。更に下の写真はヤクが薄い台地の苔を食 んでいる姿だ、ヤクは人恋しい様で、テントの周りを数多くが取り巻いた、そろそろ初夏だ、薄い草が色彩を添え、命の存在を主張している。

 

 

 上:Ganchenpo (ガンチェンポ)6387m      下:Urkinmang (ウルキルマン)6387m

  

 この物語の舞台となるランタン谷は、ランタン・ヒマール山系の中央を奔る谷で、ここは、北はチベット、西はマナスル、東にエヴェレストを持つ山域で、ヒマラヤ山脈のほぼ中心にある。ランタン谷は谷の周囲に数多くの氷河を抱え、深く抉られている。谷の周囲には 6000m峰、7000m峰が数多く連なる、下図にその様子を示す。ここは「花の谷」とも呼ばれ、世界に名声が高い。春から初夏にかけ、石楠花が谷筋を幾重にも飾り、赤・桃色・白の一重・八重の古木が白銀の峰々を飾る光景は 「桃源郷」 そのものだ。花の谷に暮らす村人からはチベットの香がする。山奥の此の地は、在りし日のチベットを感じさせ、漢族が数多く移住した今日のチベットよりも、此の地の方がチベットらしい。撮影は2005年4月~5月のもので、石楠花爛漫の桃源郷の記録だ。奇しくも其の10年後となる2015年4月25日/11時56分に起きたネパール中部でのM7.8地震は、ランタン谷にも激震が奔り地域を壊滅的に破壊した。ランタン村は山体崩壊に巻き込まれ人々と共に泥流の下に消えた。石楠花の季節に訪れた人々も消えた。此の全12巻は鎮魂であり、追憶の記録でもある。 南無

 

 下図のランタンヒマールの鳥瞰図は 「Google Earth」 より衛星画像を取り、之を「立体化」し、其処に「山名」記入したオリジナル作品だ。

 地震で消えたランタン村へのレクイエムを、ランタン谷の物語12巻として此処に編んだ。画像は全てフイルム撮影のものをデジタル化し添付した。入力はアナログ/出力はデジタルという、時代の変換期を象徴する写真表現だ。アナログ写真へのレクイエムでもありる。Net画像は、高画質・大画面・高速・大量データ転送を可能にした新技術を自ら開発し之を使用した。実験劇場でもある。今後は、内陸アジアの活断層帯上に今を生きる、ヒマラヤ・チベットの人と自然と、太古の侭の環境を逐次、時間を掛け掲載する予定だ。

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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