白岩吉明オフィシャルサイト、山岳写真ネットギャラリー、「内陸アジアの貌・フンザ物語・横断山脈・ウイグルの瞳」「エヴェレスト街道」「チベットのヒマラヤ」「ランタン谷」「黙示録」「

 

 
 
 
 
 
フンザ物語:1

 


 

上の絵柄は、子牛を引き連れ日没迫る山道を走る少年の姿で、牛も少年もはるか彼方からテンポを崩さず走り続け家路を急ぐ姿は「風の谷のナウシカ」を思わせます。山道は半時間程で暗闇に変わります。山はウルタルⅡ 峰(7388m)。下の絵柄は夜明けの時刻に、渡鳥の鶴の一群が、逆光に光る一瞬を捉えたものです。晩秋インダス川沿いに南下する鶴は、絵柄手前奥のヒマラヤの峠(クンジュラブ峠:標高5000m)の北側の湖で夏を過ごし、繁殖を成した一家と推察します。之の画像は、未明からフンザの裏山で待機して捉えた一瞬の画像で、逆光での難しい撮影を、 山中の森を利用して撮影したものです。 

 

 

フンザ村は、東西にヒマラヤ山脈とヒンズークシュ山脈のせめぎあうエリアに有り、南北にはインダス河が走り、此の河の源流の峠(クンジュラブ峠・標高・5000m)は、村の直ぐ北に 有ります。峠の先には、タクラマカン砂漠砂漠が広がり、その先はモンゴルや中国文化圏です。村の標高は2000~2500m。村の正面にはラカポシ峰(7738m)・ディラン峰(7257m)、背後にはウルタル峰(7338m)が屹立し、山々は多くの氷河にも囲まれ、村は水量豊かな地に有ります。村はインダス河と山岳の狭間の台地に有ります。村を通る道は、幾千年の歴史が刻まれる古道が母体で、この道はヨーロッパやインド文明を、内陸アジアに伝播させた貴重な道でもあります。言い換えると、インダス河を遡上した地中海文明が、ヒマラヤ山脈を越え、タクラマカン砂漠から中国へ伝播させた道です。その様な歴史的事情からなのか、村では様々な髪の色・眼の色・肌の色の人を目にします。

 

 上図はフンザの概念図です。フンザ村の中心部は「カリマバード」です。ここは水量豊かで緑豊かな河岸台地が広がり、人口の大半が此の地に暮らします。「パルチット城」や「アルチット城」が村の要衝に鎮座し、過っての要塞都市の面影を残しています。下図はフンザ村の北面を飾る「ウルタル」と「レディースフィンガー」の画像です。下図の下画像はフンザ村の対岸の「ホッパー村」から眺めです。 

 

 

 

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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