写真の黎明期は銀塩写真でありモノクローム写真だった。モノクローム写真は「単色写真」を意味し、単色には「白黒」や「セピア色」がよく使われた。色彩は何色でもよい。写真表現を白黒に限定した狭義のモノクロ写真が 「白黒写真」で、白黒の階調で被写体を表現する写真を指す、制作には薬品を使う現像作業が必要で 「暗室操作」を伴う。他方1965年頃より 「カラー写真」がメーカー任せの制作手法で現れ大衆化し、以後カラー写真が主流となり、白黒写真の「暗室操作」はマニアックな世界に移行し、衰退の憂き目に遭う。21世紀に入りデジタルカメラが実用化し、銀塩の「暗室」作業から開放され「明るい暗室」が実現した。今日ではデジタル写真が主流となる。今日のモノクロ写真の復活は「明るい暗室」実現の賜物と言っても過言ではない。このネット・ギャラリーの写真は、いずれもカラー・ポジ・フィルム写真を「明るい暗室」でデジタル化し、デジタル時代の恩恵を受けた作品だ。ちなみに 「デジタルカメラ派が語るモノクロ-白黒写真のススメ(RECO)」(click) にはデジタル時代のモノクローム写真の作例の一端が紹介されている、「モノクロ写真の魅力(カメラポケット)」(click) も同様だ、然し之等は一端であり、全体像では無い。この分野の歴史は浅く、進化の途上と言える。ハードウエアもソフトウェアも総てが先は未知数だ。
工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。 |