白岩吉明オフィシャルサイト、山岳写真ネットギャラリー、「内陸アジアの貌・フンザ物語・横断山脈・ウイグルの瞳」「エヴェレスト街道」「チベットのヒマラヤ」「ランタン谷」「黙示録」「

 

 
 
 
 
 

  横断山脈:3   麗江:1

       麗江市

                                                                    出典:  麗江市 - Wikipedia

麗江市(れいこう-し)は中華人民共和国雲南省西北部に位置する地級市

麗江古城はかつて少数民族ナシ族の王都であり、現在でもナシ族の人々が多く居住している。またナシ族のほかにリス族プミ族ペー族イ族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。1996年麗江地震で大きな被害を受けたが、翌年の古城区の麗江古城の旧市街の世界遺産への登録などを契機に復興が進められた。4年ほどで地震被害はほぼ修復されたうえ、古すぎた建物も修復された。その後の人気化とともに以前は旧市街ではなく、近代的な建物があった場所まで旧市街と同様の建物が建てられ、「旧市街」の範囲が広がりつつある。

旧石器時代以降、新石器時代青銅器時代鉄器時代遺跡が残り、古くから人類が生存してきたことを示す。戦国時代にはの勢力下に置かれ蜀郡が設置された。漢代には遂久県が設置され中原支配を受けるようになったが、唐代以降は吐蕃南詔大理の支配下に置かれた。

1371年明軍元朝に隷属していた大理国を征服すると、この地の領主を麗江宣慰司に任命したことで麗江の地名が誕生した。宣慰司とは中国周辺の諸民族で、統一国家を樹立せず、その民族内の有力者たちが個別に中国王朝と朝貢する際に、その民族の有力者たちが中国王朝より与えられる土司に分類される官職名であり、麗江ではナシ族の木氏が宣慰司号を世襲することになった。その後麗江軍民府と改称され、清代には流官(中央任命官)が支配する麗江府となり、中華民国が成立すると麗江県が設置された。

1949年7月、人民解放軍の進出によって麗江県人民政府が成立、1961年4月には麗江ナシ族自治県となった。さらに2003年6月8日、周辺地区を統合し地級市に昇格し現在に至っている。

1996年2月、この地域で麗江地震と呼ばれる強い地震が発生し、大きな被害を受けた。

                          出典:麗江市 - Wikipedia

 

上図は麗江市街の東20Kmに奔る揚子江。  下図は河岸の集落の様子

下図は上記付近の農村風景、家々の屋根瓦は日本の風景を思わせる。

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
初心者ホームページ作成