白岩吉明オフィシャルサイト、山岳写真ネットギャラリー、「内陸アジアの貌・フンザ物語・横断山脈・ウイグルの瞳」「エヴェレスト街道」「チベットのヒマラヤ」「ランタン谷」「黙示録」「

 

 
 
 
 
 

ランタン谷:8

 山岳に生きる人々は、時空を超越し平穏に生きているかに思える。唯一畏れるものは自然であり、白銀の山に姿を変え頭上う覆う神々なのだろう。神々は時には花に姿を変え、時には風となり慈雨となり、糧を生む台地となり人々に慈悲注ぐ、その様に、此の地に生きる人々は思っているのかも知れない。人々には石の家に隠れる以外自然の猛威からの自衛手段は無い、唯一の積極策はマントラのオン・マニ・ぺメ・フムを唱え、身の回りの結界のバリアーで、神からの在らぬ叱責から身を守るしか無い。上図は落石の大きなのが一つ降って来るだけで、村は壊滅する程に危険な位置で暮らす様子だ。其れでも村人は此の地で生きる、天を信じているからであろう。信頼は2015年4月25日を境に「信頼をしていた」の過去形に変わった。

 

 上:Langtang Lirung(ランタン・リルン) 7225m:中央右奥の白峰

 下:Ponggn Dokpu(ポンゲン・ドクプ) 5930m 

 

 

 真言の 「オン・マニ・ぺメ・フム」 を彫ったメンダン(石列群)が通行の安全を祈願し何処までも続く、石の一つ一つにマントラ(真言)が刻まれ、寄進した人の思いがこもる。膨大な数の石板は個性を刻み、風雪に晒され歴史を刻み、見る者を飽きさせない、一枚一枚に夫々の人生が刻まれているかのようだ。真言も道も家も総てが石だ、人々は石と共生し、生き物と同様に石に生かさるている。

 

 

 

 

 

 下図は南斜面の崖に張り付く樹林帯、高山性原生林を思わせる。崖下にはランタン・コーラ(川)の急流が奔る、川からの霧と太陽光が年月を掛け育てたのだろう。、

 

 下図はチベット高原の側から見たヒマラヤ山脈とその一角(赤○内)のランタン・ヒマールだ。チベット高原側には樹木の無い乾燥した高原台地が広がる、ヒマラヤ山脈の南側は緑豊かなネパール高原だ。インド洋からの湿潤な気流はヒマラヤ山脈の高峰群で雪となり、チベットには乾燥した気流のみが届く。地図部分のチベット高原の標高は概ね5000mだ、因みに図中のペクツォ湖の湖面標高も4600mだ。この様に湿潤と乾燥の境界に在るのがランタン・ヒマールで、このために気象は激しく変動する。図は高度238kmからの衛星画像だ、複雑なヒダ模様は、其の一つ一つが6000m峰であり、5500m峰なのだ。下図はGoogle Earth から画像を収得し、之を加工して作った。

 山岳写真ネットギャラリーは写真表現の可能性の実験舞台だ。文章が文字と言う記号で構成されている様に、写真は視覚の為の記号なのかもしれない、桃源郷の表現に歌や詩が有り、小説が有るように、写真も有るのだ。文字や言葉には民族性があるが、視覚には無い。物語の台本は作品の出来上がりを想定して書く、写真も発表を前提に撮影する。が、今回はいささか違う、地震で此処が壊滅する事は夢想だにしなかった。桃源郷の価値は壊滅後に時間を経てじわじわと滲み出た。写真の特質であり宿命なのかもしれない、此の宿命と特質部分に写真らしさが有り、写真の本懐と言える。詰まり台本通りの写真は只の写真であり、世の中には腕の良いやつは幾らでも居ると云う訳だ。之を超越する時空が鍵だ、写真はタイムカプセルであり写真家には時空を超越する長命が求められる。写真は瞬間にして事象を記録するが、記録の内容は時空の薫陶を経て咀嚼され、時の表現方で出力するが肝要の様だ。

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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