白岩吉明オフィシャルサイト、山岳写真ネットギャラリー、「内陸アジアの貌・フンザ物語・横断山脈・ウイグルの瞳」「エヴェレスト街道」「チベットのヒマラヤ」「ランタン谷」「黙示録」「

 

 
 
 
 
 

ランタン谷:9

 

 Kimshun(キムスン)6745m       

 この山はランタン・コーラ沿いのランタン村北正面を飾る。ランタンの3本槍とも呼ばれ、鋭い岩峰が天刺す様に屹立する、写真には其の2本が写り、3本目は左の雲中の為カットした。2015年4月25日の地震で山体崩壊を起こしランタン村を襲ったのは、この山の中服の岩盤崩落だ。古い地図ではチベット語でツァンプ・リとあり「神の子の山」を意味する。崩壊は神の怒りなのか、涙なのか、我らには元より知る術もない。神の子の山が未踏峰なのがせめてもの救いだ。

 

 Langtang Lirung(ランタン・リルン)7225m支峰  

 ランタン・リルンの南稜峰。ランタン村の西に屹立し村に最も近い岩峰だ。写真は雪の朝の薄陽の姿。降雪が岩肌を覆い寒々しい。陽が昇ると黒い岩肌に姿を変える。主峰のランタン・リルンは7225mだが、此の岩峰は5340mと可成り低い、位置は主峰の南3Kmで、近年はランタン・リルンの登頂ルートに使われている。リルン氷河は雪ナダレの危険が多い故だ、1978年のランタン・リルン初登頂は此の南稜ではなく氷河を使った。 

 

 Ponggn Dokpu(ポンゲン・ドクプ)5930m

 ポンゲン・ドクプは幾つものピークを抱え、幅広い岩壁をランタン村の南東正面に見せる。写真は其の一画を撮った。前日からの降雪が上り、ガスの中から姿を見せる一時だ。山には朝景色が似合う、とりわけ雪上がりの表情は多彩だ。此の山は右手には堂堂のナヤ・カンガ峰を、左手にはガンチェンポ峰を抱え、いささか見劣りし、560ページも有る「ヒマラヤ名峰事典」には一言の紹介も無い極めてローカルな山だ。

 

 

 Naya Kang (ナヤ・カンガ)5846m 

 ナヤ・カンガ峰は上記のポンゲン・ドクプ峰の西に連なる大きな山塊で、ランタン村の南正面に堂堂の姿を見せる。写真は黎明の姿。月明りが陽に変わる一瞬だ。斜光が山襞を浮き上げヒマラヤ特有の山容を見せ付ける。被写体までの距離は大凡6000m程だ、400mm望遠レンズが見事に被写体を捉える。暗闇の中での撮影、スローシャッターを2台の大型三脚で耐える。降り止んだ新雪の中での撮影だ。     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Naya Kang (ナヤ・カンガ)5846m 

 

 上図はランタンヒマールの広域図で、出典は「ヒマラヤ名峰事典・P208/平凡社」だ。この地図のヒマラヤ山脈との位置関係は、下図の「チベット高原・ヒマラヤ & ランタンヒマール広域図」の緑点線で示す、下図でエヴェレストとの位置関係も分かる、この図はヒマラヤ上空164kmから眺めたに相当する衛星画像だ、Google Earth より収得し加工したものだ。

山岳写真とは何かの定義は無い、山岳写真と云う概念は恐らく我が国の写真界特有のものと思う、此の概念は昭和初期頃から知識人が薫陶した山岳書が起因であろう。日本の山岳及びスイス・アルプスの写真が当時の書籍を飾り、文人が名文を沿えた。この写真分野が戦後一人歩きしたものと思う。其れから幾十余年、今はNet時代、ネットギャラリーも参加だ。


工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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