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ランタン谷:5

 上下2点:Urkinmang(ウルキルマン)6151m

 

 上図2点のウルキルマンは幕営地ランシサカルカの南正面を飾る。この山は均整の取れた鋭い姿で氷河の中に屹立し、ひときわ目を惹く山だ。ウルキルマンの稜線の東にはカンシュウム峰が、西にはガンチェンポ峰が続き、足下にはランシサ氷河が奔る。土地の人々は此の山をチベット語でシャール・カルマ(Shar Karma)と呼んでいる、「東方の星」を意味するそうだ。此の山の初登頂は1964年に大阪市立大学隊がなした。その後、登頂禁止が続き、30年後の1994年に阪大山の会隊の登頂成功が、ネパール政府の許可が取れた2登目となる。しかし禁止の30年間にも米・西欧隊に依る無許可登山がなされていた様だ、之は現地に対する蔑視なのか無視なのか悲しい話だ。

 

 下:Langshisha Ri(ランシサ・リ)6427m

 

 ランタン谷の最深部の Langshisa Kharka(ランシサカルカ)4125mの幕営地での撮影風景が此の巻だ。此の地は Langtang GL(ランタン氷河)  Shalbachum GL(シャルバチュウム氷河) LangshisaGL(ランシサ氷河)の交点にあるモレーン台地だ。氷河端の此の地は長年に渡り氷河が運んだ堆積岩の開けた台地で、植物の限界地でもある。岩石と永久凍土の上の薄い土壌に苔と僅かな草が生き、これを糧にと春から夏はヤクの放牧地として使われている。人は住まず居るのは登山者とサポーターとヤクのみで静寂そのものだ。ここは足元から巨峰が屹立しロケーションは抜群だ。しかし山小屋等現地のサポートは無く総てを持ち込まなくてはならない。

 

 

 

 上:Langshisha Ri(ランシサ・リ)6427m    下:Kanshurm(カンシュウム)6078m

 

 下はランシサカルカ幕営地。石室での夕食後の火を囲んでのひと時だ。幕営地奥の南向き山裾には灌木帯があり、枯れ枝を拾うことが出来る。山岳写真の撮影日は荷運びは無く、シェルパ君達はヒマだ、そこで彼等は日中、夜の為に枯れ枝集めに山裾まで向かう、谷に降りての水汲みも一仕事だ。

 

 

 上:Ganchenpo(ガンチェンポ)6387mの西面

 下:Ganchenpo(ガンチェンポ)6387mの東面

 

 

 上:画面の左:Kanshurm(カンシュウム)6078m  右:Urkinmang(ウルキルマン)6151m

 下:Pemthang Karpo Ri(ペンタン・カルポ・リ)6427m

 

 下:Ganchenpo(ガンチェンポ)6387m

 

 ランシサ・カルカの幕営地点描

上:石室とその奥のテント、テントは旧型の三角テントだ。テントの正面は Ganchenpo(ガンチェンポ)峰6387mの裾だ。

下:夕食後、火を囲んでこれから酒盛りが始まる前の記念撮影、石室にて。

 

 

 上:早朝のテントサイト、左の山裾はガンチエンポ連峰の端部、中央のピークはガンチエンポ連峰の中央部。静寂の空間に朝霧と五色のタルチョが微風に動く。此処は3方向からの氷河の交点で、モレーン台地が広がる。

 下:幕営地の南面風景、中央はラシンサ・リ、左はペンタ・カルポ・リ、右はウルキルマン。

 

 

 上:幕営地の南面の Google earthの衛星画像を立体化した此の地の鳥瞰図。

 下:ランタン・ヒマール全域図と山名。ランシサカルカの位置及び其処からの撮影範囲(赤の点線内)

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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