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エヴェレスト街道:12  ディンボチェ~パンボチェ~タンボチェ

 

エヴェレスト街道:12   アマ ダブラム  (Ama Dablam 6814m)

 

 

エヴェレスト街道:12   ローツェを飾る紅葉

  パンボチェ村を過ぎディンボチェの村への山道で出会ったローツェ峰、山道はタウェツェ(Tawetse 6501m)南壁直下の急峻な斜面を横切るもので、常に落石の危険に晒されている。斜面は絵柄右下のクーンブ川に落ちる。急斜面を飾る植生は何れも鋭い棘を持ち、ヤクの食害から身を守っている。生き抜いた生命は、いま極彩色で命を誇示する。

  

 

エヴェレスト街道:12   ディンボチェの村を望む        タウェツェ(6501m)

 ディンボチェの村の西にはタウツェ(上図)が、南にはアマ・ダブラム(下図)が聳える。村の標高は4340m。イムジャ氷河が残した岩と石と砂の台地を、シェルパ族の人々は耕作地に変え、年月を掛け今の暮らしを築き上げた。シェルパは「東方の人」を意味する。彼等はチベット高原の東部の民族だが、500年程前にヒマラヤを超えネパールの山岳地帯に移り住んだ。シェルパ族は農耕民では無く元は遊牧民であった、それがネパールに来て100年~150年前にジャガイモ栽培と出会い、生活様式が変わった。然し此の地を含むクンブ地方は寒冷で、農業は半年しか出来ない、故にジャガイモ栽培と出会っても寒冷地の貧しい土地での暮らしは困難であったと思う。然し約30年前頃からエヴェレスト街道の村々には、農業以外に観光業が加わり、現金収入が増え、家畜が増え、家畜の糞は自家製肥料となり、畑作の収穫量は上がり、今の村の暮らしとなった様だ。今は、ジャガイモがトレッカーの口に入り現金収入になる時代だ。

 

エヴェレスト街道:12   ディンボチェの村を望む        アマ ダブラム( 6814m)

 

エヴェレスト街道:12   パンボチェの村を望む

   パンボチェはタウェツェ(6501m)の山裾の台地に南北に広がる標高3930mの村だ。上図はディンボチェ側の道から撮影した村の様子、写っているのは主に上パンボチェ村の様だ。村の全体像を知る為に衛星画像にて下図を得た、之に依りクーンブ川と村の位置関係や道を詳しく理解出来た。Google画像は2017年11月現在のもの。

 

 

エヴェレスト街道:12   天空のタンボチェの村(上図:空撮)   コンデ・リ( 6187m)

 

  タンボチェ村をヘリコプターから撮影したのが上図で正に天空の村だ。此処からの眺望は抜群で、エヴェレスト、ローツェ、アマ・ダブラム等の撮影には最適だ。南面にはコンデ・リの岩塊が連なる、上の絵柄が其れだ。タンボチェ村にはエヴェレスト街道を含めたクンブ山域最大のチベット密教寺院タンボチェ・ゴンパが在る。ゴンパでは多数の僧が修行し、チベット密教を此の地域の人々と共に守り、育み、生きたものとしている。エヴェレストを挟んで、此の地と対照的な北側(チベット)の位置に在るロンブク寺の仮面舞踊は、ロンブク寺では既に廃れたが、タンボチェ寺では生きている。国境を超え、地域の伝統文化が此の地で生きている。下図はタンボチェ村の中央に在る広場の朝の光景、出発前のヤクがノンビリ佇む。広場中央奥の青屋根の建物はパン工場。焼きたての食パンはトレッカーに人気だ。パンはヤクの背に乗りエヴェレスト街道の奥地にまで行く。

 

エヴェレスト街道:12   タンボチェ村のロッジエリア

 

エヴェレスト街道:12   エヴェレスト街道のロッジエリアと名峰18座

 

 

エヴェレスト街道:12   ディンボチェ~パンボチェ~タンボチェ・11景

  此処はエヴェレスト街道の大動脈、崖道で大変危険だ、この道の頭上にはタウェツェ(6501m)が急峻にそびえ、足下にはクーンブ・コーラ(川)が奔る。山頂から川までは一直線の急勾配で、落石が間々ある。その故か道には石積みの仏塔が其処此処に並ぶ。晴天の日は快適なルートだが、降雨・降雪時は足元が悪く、細心の注意が必要だ。シーズン中は大量の荷を背負う人とヤクが往来する。取分け大荷物のヤクの隊列のすれ違いは大変だ。

  パンボチェ村の畑は秋の日を浴び休耕中、畑では主にジャガイモが作られる。此の地にジャガイモ栽培が導入されるまでは、シェルパ族は農耕民ではなく遊牧民だった。遊牧時代の此の地は 「エヴェレスト街道:11 ぺリチェ」 (click) に見られる原野の風景に近いと察する。此の地を含むクンブ山地は気温が低く農業は4月中旬~9月初頭の半年弱だ。悪地に強いジャガイモの原産地は、ペルー南部のチチカカ湖畔(標高3800m)で、ヒマラヤの環境は原産地と似ている。ヒマラヤへのジャガイモ導入は、ヨーロッパに比べ、200~300年遅れと思われる。導入ルートはカトマンズのイギリス人からと言われる。ジャガイモ料理は 「ヒマラヤのジャガイモ(カモシカクラブ)」(click)  にその一部が掲載されている。現地の食材による「山メシ」に付いては 「トレッキングの食事(シェルパ族が案内するネパールの旅)」(click) に詳しく出ている。

  上図はタンボチェから望むローツェ(Lhotse 8516m)南壁。ローツエ南壁に絡む雲と光のドラマを、日がな眺め過ごす極上の時が此処に流れる。ローツェで起きている気流の音も、崩壊の音も此処には無縁だ。下図はアマ・ダブラム(Ama Dablam 6814m)南面。昔々人が仏の化身と見間違えても不思議ではない容姿だ。

 

 

エヴェレスト街道:12   タンボチェ・4景

  此処はシェルパ族の仏教文化に接する事が出来るエヴェレスト街道の僧院・タンボチェ寺だ。・タンボチェ寺はチベット密教ニンマ派の寺院で、ニンマ派は、チベット仏教四大宗派の最古の流れをくむ宗派で、起源は西暦760年頃と言われる。それ以前の、仏教が伝来する以前の、此の地をを含む広義のチベット域の信仰はボン教であり、アニミズムで在ったと思う。難しい事は兎も角、此の地には自然信仰が良く似合う。

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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