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エヴェレスト街道:11  ぺリチェ

 

エヴェレスト街道:11   アマ ダブラム・其の1  (Ama Dablam 6814m)

  絵柄はぺリチェ村の頭上に光るアマ・ダブラム峰、撮影は地上が闇に沈む時刻。闇は冷気を呼び、陽が落ちると大気は一挙に冷える、晩秋の陽は釣瓶落としだ。闇に輝くアマ・ダブラムの姿は荘厳だ。アマ・ダブラムの意味は、シェルパ語で「母の首飾り」を意味する、端正な山容に似合ったネーミングと言える。アマ・ダブラムの初登頂は1961年、ニュージーランドのE・ヒラリー隊だ(彼は1953年にエヴェレスト世界初登頂を果たした)。今はいずれの山も多くのクライマーが挑戦し、登頂を果たし、記録を残している。「撤退・そして再びアマ・ダブラムへ・・新進気鋭の写真家・上田優紀の挑戦・Vol4」(click) には登頂までの生々しい記録が写真と共に記されている。

 

エヴェレスト街道:11   アマ ダブラム・其の2

   クーンブ氷河が残した開けたU字谷の底にはクーンブ・コーラ(川)が奔る。一帯は氾濫原で、夏には緑で覆われ地上の楽園と成る。開放的な此の空間は、深い谷と山岳が鬩ぎ合うクーンブ・ヒマラヤでは、めずらしくもあり貴重な存在だ。

 

 

エヴェレスト街道:11   アマ ダブラム・其の3

  トクラからぺリチェへのルートの光景。岩と石の氷河台地は、在りし日の氷河が残したモレーンで埋まり、爆撃を受けた戦場の逞だ、地上の風景はこの地形が延々と続く。アマ・ダブラムの端正な容姿と、カンテガ山群の白銀の稜線が対照的だ。

 

エヴェレスト街道:11   トクラよりぺリチェへの道・7景

 

 

エヴェレスト街道:11   ぺリチェの北面(トクラ方面)の景観

   上図はぺリチェ村の上部から撮影したこの地域の景観だ。写真撮影の上画像では手前が拡大され、奥は圧縮されて写る、この様な画像では全体像の把握には適さない。此の欠点を補う為に、下に衛星画像による鳥瞰図を添えた。ぺリチェの標高は4260m程だ。図の様にぺリチェはポカルデ(5806m)のなだらかな山裾にある。山裾は陽当たりの良い場所だ。耕作地が少しあり、撮影時には専業農家が1軒あった。此処はクーンブ・ヒマラヤの耕作限界地だ。西側はタウェツエ(6501m)が聳え、その裾は急峻な岩壁で、下はクーンブ川だ。タウェツエの北にはチョウラッエ(6440m)があり、その北のロブチェ(6145m)との間には氷河圏谷がある。クーンブ氷河は此の圏谷の辺りで終わり、水流と成る。下図はこの様子を描いたものだ。

エヴェレスト街道:11   ぺリチェ村北側の山容鳥瞰図

 

 

エヴェレスト街道:11   ぺリチェ村にて・10景

 上はぺリチェ村で唯一専業農家を営む家の台所、左隅の筒はヤクの乳を攪拌し分離させる道具、主婦が手にするのは分離させた乳製品で、これからチーズ、ヨーグルト、バターが出来る。バターはバター茶になる。ヤクの全乳は牛の2倍の脂肪分を含み、此の地の貴重な栄養源と成っている。バター茶はヒマラヤでは日常飲料で、ヤクバター、茶、塩、水を泡立つ様に攪拌して作る、厳しい乾燥の此の地では、小さなカップで日に何十杯も飲む。この習慣はヒマラヤに限らず、古くからチベット族共通のものだ。 「ヤクバター(Wikipedia)」(click) 「バター茶(Wikipedia)」(click) に百科事典(Wikipedia)の詳しい解説がある。下図はヒマラヤではヤクに次ぐ現代の足、ヘリコプターだ。ヘリはヤク同様に過酷な環境に対応する、其れはヘリが軍用仕様で設計されているからだ。軍用とは気象・昼夜・極地を問わない戦闘・野戦支援用を意味する。調べると、2010年の世界のヘリコプター生産数・11,000機強の内、軍用は9,000機強を占め、軍用が82%強を占める。ヘリコプターは、軍用仕様の工業製品が、日常生活に転用されている数少ない例と思う。 「エヴェレストの頂きに降り立つヘリコプター」(click)にはヘリコプターの凄さが動画で配信されている。ヒマラヤでは、政情不安時で道路が使えない場合、自動車の代用にヘリが使われる。この様な事はネパールやパキスタンで侭有る。此処に紹介のぺリチェ村には、クーンブ川に沿う広い台地が有り、ヘリの着陸には最適だ。この村は高山病治療の医療施設を持ち、ボランティアの看護師の常駐し、設備の良いロッジ等が揃い、エヴェレスト街道の新しい拠点と成っている。拠点の成立は、此処が耕作限界で在住農家が少なく、土地利用の余地があった故と思う。

  

 

エヴェレスト街道:11   ぺリチェ村上空         カンテガ                           タムセルク

 

 上図と下図はヘリコプターでぺリチェ上空から撮影したもので、上図の下部にはクーンブ川を渡る橋が写っている、ぺリチェの村はここらまでだ。下図は更に進んだ地で、此の辺りから川が谷へ変わり、その先では谷は深くなり峡谷となる。

 

 

 

エヴェレスト街道:11   アマ ダブラム・其の4

 

 

 

エヴェレスト街道:11   アマ ダブラム・其の5

 

 

 

エヴェレスト街道:11   アマ ダブラム・其の6

 

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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