氷河舌端に繁茂するイムジャ氷河の植物群を撮影した。此処は、地を這う苔や地衣類、短草、木部を持つ植物、棘を持つ防衛植物、針葉・広葉の低木等々が混在し密集した高山植物の園だ。植物好きにはたまらない光景だ。華麗な花を求める高山植物愛好家の世界とは違い、いささか地味では有るが、この景観こそ太古からの地球の姿だ。標高は約4700m。
マニ石(チベット文字で経文を彫りつけた石)の道標が、人に安心を吹き込む。此処に見る、氷河が運んだモレーンの小山群が波打つ光景は壮観だ、ローツェの北壁を削り採った氷河の生産物が、此の小山群だとすれば、其のエネルギーは計り知れない。荒々しい自然界改造の世界に、マニ石の塚が良く似合う。マニ石の風景は、空想の世界の、三途の川の手前にある賽の河原を連想させる風景だ。山岳風景が空想世界に連動して居る事はまま有る事だ。
トクラは下図仏塔のある峠の左奥4.5Km程に在る。、トクラからディンボチェの村に至るには、下図仏塔のある丘を越える、下図は其の丘からの眺望で、此処からは、ローツェ北壁をはじめイムジャ氷河の山々を一望できる。仏塔の崖下にはディンボチェ村の耕作地とイムジャ氷河からの水流、イムジャ川が見える。村はイムジャ川沿いに東西に展開し規模は大きい。丘の北側にはローツエ北壁が一際目立つ。また南正面には、眺望図の下の絵柄の様に、堂々の姿でアマダブラムが鎮座する。山裾の集落はディンボチェの村だ、村はモレーン台地の河岸段丘を隙間なく耕作し、極限の地で農業とヤクの飼育を営んでいる。 ディンボチェ村はイムジャ・コーラ(川)の河岸台地にある。此処はアマ・ダブラムの南裾で明るい空間だ。台地は東から北へ緩やかな傾斜を持ち、良く整備され、絵柄の様に棚田と成り、痩せや土地乍ら棚田は村の暮らしを支えている。
ディンボチェの村から東は氷河圏で、上図はこの圏谷の様子を描いた鳥瞰図だ。此処ではヌプツェ氷河、ローツェ氷河、アマダブラム氷河、イムジャ氷河等が複雑に入り組む。それぞれが大規模氷河だ。取分けイムジャ氷河には多くの氷河が合流している。更に此の圏谷には幾つもの氷河湖がある。中でもイムジャ氷河湖は規模が大きく、今、決壊の危機に瀕している。此の氷河湖の標高は5100mだ、直径は2Km,水深は100m以上、此処には、ネパール地震以後の2016年に排水路工事がなされ、今は一時危機を回避している。イムジャ氷河湖が決壊し山津波となれば、下流域の人命1万人以上が危機に瀕する。この問題に関しては「イムジャ氷河湖をめぐる問題(北大教授・渡辺悌二氏)」(click)に、地球環境科学の専門学者の立場からの研究報告がなされている。更に「三度、イムジャ氷河湖へ(登山家・野口健氏)」(click)に、環境問題に取り組む登山家としての報告が出されている。
夜半の雪がイムジァ氷河を薄化粧、雪雲が残るチュクン・ロッジエリアの朝。背後はローツェ北壁、右はイムジャ・ツェ。
ディンボチェ村の標高は4340mだ、標高は高くても此処ではジャガイモの栽培が盛んだ、小粒だが美味しい。村の南側にはイムジャ・コーラ(川)がはしり、川辺には多様な植物が繁茂している。畑地ではない台地にはカルカ(放牧地)が有り、ヤクが日がな植物を食んでいる、ヤクが食べるのは地衣類や短草だ。灌木は鋭い棘を持ち、食害から生き延びている。ヒマラヤの風景にはチベット同様、極彩色が似合う、現実そのものが生死の曼荼羅絵だ。
ディンボチェからチュクンに至ると標高は4700mを超え、視界は更に開け、思わぬ方角の山までが見える。エヴェレスト街道のクーンブ・ヒマールの南西にはロールワリン・ヒマールが有るが、此処に掲載のコンデ・リの山々は、其のロールワリン・ヒマールに属する。距離は離れ極めて遠いいので、撮影は超望遠だ。
工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。 |