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チベットのヒマラヤ:19

 標高5000mのザ・ラ(峠)。標高の高い此の地には木は無い、葉を持つ植物も極く僅かだ。植物の多くは地衣類だ。上図は山肌を覆う地衣植物の様子、緑の絨毯を思わせる。過っては氷河に覆われていたであろう山肌は氷河が後退した後、氷河が削り残した砂礫を時間が風化させ、ミネラルを含む微粒子に進化させた。その後、霧の付いた砂礫の微粒子に微生物が宿り、微生物はミネラルを餌に育ち、時を経て、緑の絨毯と成ったのであろう。今後この地衣植物の死骸が蓄積し、土壌に進化すれば、やがて此の地にも根を持つ植物、葉を持つ植物が住み着くだろう。緑の衣(ころも)は山肌の風化を防ぐばかりか動物と言う新たな生命の胎盤と成る。生命の生成転生と進化を目の当たりに暮らすチベットの人々がうらやましい、チベット密教の根はこの辺りに在るのかも知れない、が、文明と云う環境汚染が、今、チベットの自然を虫食み、消費文化がチベットの人々を自然から引き離そうとしている。文明という野蛮が此の地にも現れ、脅威になろうとしている。氷河が消え命の台地に転生するまでに万年の月日を要したことと思う。暴力は之を瞬時に壊す。文明と云う暴力が此の地にも現れ、住み着いた。

 

 下図の雪山はダク・ピーク(6346m)、チベット大地に鎮座する釈迦如来の様だ。撮影地の此処は、標高5000mのシシャパンマBCがある高層湿原帯で、永久凍土上の薄い表土には地衣類や短草が繁茂する。晩秋の今は紅葉の盛りだ。画面下部の小川は30Km北のぺクツオ湖(標高4600m)に向かう。ぺクツオ湖には上図のザ・ラ(峠)周辺からの流れも集まる。

 

 

 下図はのぺクツオ湖(標高4600m)。上図2点のザ・ラ(峠)やシシャパンマBC一帯の高層湿原からの水流もここに集まる。

 

 

 上図と下図3点はシシャパンマBCとペクッオ湖の間30Kmに展開する草原の様子。上図は草原を走る野生馬。下図の左端の稜線では雪が降り始めた、山裾では雲間の太陽光が金色に輝く、自然界の描く曼荼羅絵だ。此の辺り一帯はシシャパンマ自然保護区で、ゲートが有り、入域料を徴収する仕組だが徴収は曖昧だ。

 下図は地表を這う積乱雲と上空から降り注ぐ雪雲の様子、間には薄い層雲が走る。真夏の天空のドラマだ。

 下図は廃院の風景。シシャパンマBC近くの丘に佇む、周囲に溶け込みチベットの風景に彩を添えている。

 

 

 

 上図と下図はシシャパンマ(8013m)。標高5000mのシシャパンマBCよりの景観。シシャパンマの名称は、以前はインド測量局の命名でゴサイタン(Gosaintan)と呼ばれていた、意味する処は「聖者の居所」だ。現在はチベット語のシシャパンマだ、意味は「生き物も死に絶え、植物も生えない荒涼とした不毛の地」で、言い得て妙成る名称だ。

 

 下図はシシャパンマBCとジュガール・ヒマラヤの景観。台地は西日で赤土色に染まり、チベット高原らしい色彩だ。絵柄の左端はポーラ・ガンチェン、其の右がシシャパンマ。他の山々は雲の中だ、右端の厚い雲の中はカンペンチン。

 上図はカンペンチン(7281m)、下図はポーラ・ガンチェン(7661m)、シシャパンマBCの左右端を飾る山だ。

 

 

 

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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