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チベットのヒマラヤ:15

 上図は下図(チベットのヒマラヤ・全23巻・撮影地紹介)の、①:ツォ・ラ(峠)4500mから望む風景で、眼下には小集落と畑が見える、黄色は菜の花だ。眼を上に移すと稜線右には竜巻が見える、左側は暗い雪雲が今雪を降らし始めている。集落辺りの地上には強い日が射し、輝いている。広い広い天地の曼荼羅絵が目の前に展開する。

 

 

 下図は上図(チベットのヒマラヤ・全23巻・撮影地紹介)の、④ソビヤ・ラ峠(5100m)から遠望するヒマラヤ方面。

 

  上図2点は(チベットのヒマラヤ・全23巻・撮影地紹介)の、①:ツォ・ラ(峠)4500mの東側風景、浸食激しい地形には鬼気迫る迫力を覚える。絵柄下部には低い柱が並ぶ、之は光ファイバーの通信線だ、勿論軍用の。下図は⑩のテンリー近くの砦跡風景、1904年にイギリス領インドからイギリス軍が進軍し、撤退するチベット側が、自ら壊した砦と聞く、景色は無言で見る者に問いかけている。上図も下図も侵略者の痕跡だ。

 

 

 上下の各2点は新蔵公路(国道219号線)の様子。チベットの東西を結ぶ唯一の幹線道路だ。撮影当時は未舗装で、川に橋無し、増水で道が流失は日常の時代だった。雨季は冠水箇所は水が引くまで何日でも待つしか無い事も日常的だった。この道は1951年に建設が開始され1957年に全線開通した。道はインドと国境未画定のアクサイチン地域を通過しているが、建設当時はインド政府は気が付かず、道路完成後にインド政府は領有権を主張し、現在も国境紛争は続いたままだ。

  

 

 

 

 

 

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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