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チベットのヒマラヤ:10

  上図はガムリン湖、標高4300m。今まで見て来た処では最も低標高の地だ、湖岸南を新蔵公路(219号線)が走る。此の地の70Km西にあるツェ・ラ(峠)・標高5000mが下の雪の峠だ。峠の前後には更に其の下の絵の様な穏やかな風景が延々と続く、下の緑の草原の画像の奥、山裾を拡大して見ると集落が確認できる、一軒からは炊煙らしき煙も見える、我々には近ずく事の出来ない禁断の地であり、おとぎ話の世界だ。季節は8月初旬。

 

 

 

 

 

  下図3点は上で見たツェ・ラ(峠)の西約40Kmのソビヤ・ラ(峠・標高5100m)手前の様子。位置関係は上図に紹介の通りだ。此の道は新蔵公路と呼ばれ、此処チベットから新疆ウイグル自治区第二の首都カシュガルまでの大動脈だ。北京オリンピック3年前の2005年当時はこの姿だ。この難路の様子は、1949年の毛沢東によるチベット領有宣言以来変わらないのだろう。日本でいえば江戸時代や明治・大正・昭和初期の東海道の様なものだ。不便ではあるがチベットには此の難路が似合う、自然と接するにはこれが良い、チベットのむき出しの姿を見る事が出来る。流れは自然に任せ自然は暴れながら自らを治癒する、人間には荒れて見えるが自然界にとっては之が当たり前なのだ。ここは大陸プレートの衝突現場で毎年数センチ移動し隆起を続ける活断層帯だ、活断層をコンクリートで埋めるのは失笑だ。しかし今は高速道路となり当時5日を要した上図の東西300Kmは半日で通過だ。日本では昭和初期、東海道は箱根越えに難儀し、上越道は三国峠越えに難儀し、物語を生んだが丹那トンネル・清水トンネルは難儀を昔話にした。今は昔話さえ語らない。其の後、越後平野が高速道路とマンションと工場に埋まり、バブルは崩壊しマンションは廃墟化し、越後平野の景観は荒廃した。チベットも此の二の舞を演じ無い事を祈る。下図は昔話の1頁になった。

 

 

  下図2点は、上の話のソビヤ・ラ(峠)・標高5100mからの眺望。400mm望遠レンズ(6x7版)に大きな三脚を据えての撮影。ヒマラヤ山脈方面を望む。難所での道路工事による停滞が、好機を作ってくれた。写真は時間の産物だ、光と気流は千変万化、万華鏡の如く2度は同じ姿を見せない。

 

 

 

 

 


 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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