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  フンザ物語:3

上図はフンザのパルチット城からの眺めで、ラカポシ峰・ディラン峰などフンザの主要な山が眼前に迫ります。下図の2点はフンザの北側のアッパード・フンザと、その先のパスー氷河のです。

下図はフンザを取り巻く地域の概略図で、フンザの北150Km程先には中国との国境となるカイバル峠が有ります。

上図はカイバル峠近くのカラコルム・ハイウエイの様子で、下図は地域のカラコルム山脈上空からの空撮図です。

 

 

以下の3点画像は、クンジュラブ峠(標高5000m)内の広大な高原台地の景観です。氷河からの水が奔り、特異な山岳風景が延々と展開します。

                                        パキスタンのケシ栽培の実情

             中村哲医師の西日本新聞社「新ガリバー旅行記」への寄稿連載随筆


パキスタンにおける阿片(あへん)の流行は一九八〇年ごろから始まった。一時は深刻な社会問題となった。国民の一割が阿片耽溺(たんでき)者というから、大変なものである。その直前、アフガニスタンでは連軍の侵攻でアフガン戦争が始まり、パキスタンでは軍事政権下で禁酒政策が徹底された。ケシ栽培はパキスタン北部とアフガニスタンで普通にあったが、それまで阿片は辺境で鎮痛剤に使われる程度で、主に輸出用だったらしい。ペシャワルはこの阿片供給ルートの要(かなめ)である。郊外のバザールで堂々と販売していたし、初めのころ、さほど高価でなかったから、庶民のお手軽な社会逃避の手段となった。アフガニスタンではソ連兵の間で流行し、ゲリラたちが石油や弾薬を阿片と交換する姿は普通に見られた。いずれにしても、良いことではない。欧米諸国でもまた、麻薬は深刻な社会問題で、供給源の壊滅にやっきとなった。しかし、ケシを作る農民側にも、何分かの理はある。麻薬栽培の拡大は、現金生活の浸透と切っても切り離せない。わがPMS(ペシャワール会医療サービス)の五つの診療所はおおむね国家の目が行き届かぬ辺境にあり、例にもれず、一時盛んにケシ栽培が行われた。小麦の代わりに作付けすると、約十倍の収入が得られる。そこで、農民がケシ栽培で多額の収入を得、町のバザールで穀物を買うという珍現象さえ現出した。大声では言えないが、ダラエ・ヌール渓谷に診療所を作るころ、ケシの収穫期には職員たちも手伝って、農民と親交を深めたことがあった。麻薬撲滅が世界的な課題とされた一九九一年、畑のケシを刈り取ると国連が褒賞金を出した。この噂(うわさ)が広まると、何とケシ畑は至るところで急増した。褒賞金目当てにわざわざ小麦畑をつぶしてケシを植えたのである。これは豊かな農村地帯で多く、完全に自足の村では見られなかった。当たり前だが、そんなことをすると自給自足できなくなる。ケシ栽培はカネ社会の浸透。つまりカネの多寡が生活の豊かさを決定する、世界的な趨勢(すうせい)と不可分である。根は想像以上に深い。

                                         ●中村哲医師特別サイト「一隅を照らす」

                                                       出典: https://www.nishinippon.co.jp/image/241655/

 

アヘン貿易:18世紀後半から,イギリス東インド会社がインド産アヘンを中国向けに輸出した貿易。実際は,中国からの茶の輸入の資金として,英国がインド(ベンガル地方と中央インドの藩王国など)につくらせたアヘンを中国に売り,インド人の受け取る代金で英国のつくった工業製品の消費を可能にさせる,という三角貿易であった。また,植民地インドにおける英国の歳入の17%(19世紀平均)はアヘン専売収入が占め,中国への輸出は清朝の禁令のため,中国人商人を介した密貿易で行われた。.....世界大百科事典より

 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負ってません。この問題は最終章「黙示録」で考察してます。内陸アジアには持続可能な社会の雛型が有史前から連綿と続いています。
 

 
 
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