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白岩吉明オフィシャルサイト

横断山脈:5

ミニアコンカ

牛背山:2

上図3点:黎明のミニアコンカ    下図2点:地域の概念図とミニアコンカの位置
初登頂  出典:click 

初登頂は当時としては異例とも言える少人数の隊によって達成された。当初、エベレストより高い可能性があると目されていたアムネ・マチン峰の遠征隊として12人の参加が予定されていたが、満州事変の勃発により登頂許可が得られなかったため遠征が頓挫。一部は無許可のままアムネ・マチン峰へ向かったが、リチャード・L・バードソル、テリス・ムーア、アーサー・エモンズ3世、ジャック・セオドール・ヤングの4人はミニヤコンカの測量および登路偵察、大型獣の標本採集を目的とした西康遠征隊を結成した。満州事変の混乱に加えて中華民国軍はチベット軍との戦闘も行っていたため、最寄の都市である打箭爐周辺でも人足や駄獣の大規模な徴発が行われており、資材の運搬要員の確保にも困難を極めた。結果として最終的にベースキャンプより上でも活動したハイポーターはわずか2人、ヤング隊員は第1キャンプへの荷揚げを完了すると撤収の際に必要なポーターの手配と折衝をするために下山したため、終盤の登山活動は3人で行われた。エモンズが手を負傷したため最終アタックはバードソルとムーアの2人で行われ、6,700メートル地点に設営された第4キャンプから9時間半かけて登頂に成功した。なお、登頂前に4人はより綿密な測量活動を行いミニヤコンカの標高は7,587メートル(24,891フィート)測定誤差±25メートル(85フィート)と現在の計測値に非常に近い数値を算出している。この標高の登頂は1931年に登頂されたインドのカメット峰(7,756メートル)に次ぐ世界第二位の記録だった。

ミニヤコンカ山
四川貢嗄山(ミニヤコンカ)は四川省康定と瀘定と石棉の3県の県境に位置し、面積40万ヘクタール。チベット語ではミニヤ国の白い山という意味から名付けられた。ミニヤコンカは四川省の大雪山脈の最高峰。由来は、ミニヤ国の白い山という意味。貢?山(日本では代用漢字で貢嗄山と表記することが多い、コンガ山、またはコンカ山)。一年中氷雪に鎖らされている。一番高い峰の海抜は7556mで、四川省では最高の山。「蜀山の王」と称される。ミニやコンガは中国の専門雑誌「中国国家地理」おいて「中国で最も美しい場所」部門、第二位を受賞した。
貢嗄山(ミニヤコンカ)は四時雪を戴きその主峰は標高7556m、ヒマラヤ山脈の東端では最高峰である。周りには荒々しい陵角を天に突き上げた無数の山塊群が連なっているが、標高6000mを 越える山はなく、その高さは群を抜いている。ミニヤコンカ(貢嗄山)山の地域は氷川が71カ所もある。海螺溝はミニヤコンカ(貢嗄山)山に一番大きい氷川で、総長は30.7キロで、原始林まで6キロ延びていて、うっそうたる原始林を通って龍のように飛んでいる。それで、緑の氷川と称えられた。海螺溝の入っていくのはとても容易。毎年の3月から10月まで氷川を観賞するいいシーズンである。1982年日本山岳協会の松田隊員がミニヤコンガ山頂上アタックを試みたが7500M付近で遭難、18日後、2850M付近に半死状態で村人に救助され、奇跡の生還を遂げたことも海螺溝の有名な話である。貢嗄山は3つの長い氷河をもっている。最大のものは眼の前に横たわる海螺溝氷河で、その幅は500m~1100m、長さは15kmに及び、中国で最も長い氷河と言われている。
また、原始林、現代氷河、金糸猿、レサパンダなどの野生動物と数多い高山植物よく保存されているから、1997年中国国家自然保護区に指定されました。現在のミニヤコンカ海螺溝氷河辺りは観光地に開発され、氷河、雪山、温泉と高山植物が数多い観光客を引き寄せています。ここ数年、ミニヤゴンが山も開発された。有名な展望は、海螺溝、子梅村峠ー ミニヤコンガ主峰、黒石城展望台、牛背山展望台などもある。
 


 

工業製品に埋もれた消費社会とは距離を置いた、内陸アジアの自然と人間を紹介いたします。此処には、私たちの美意識の源泉・文化の源泉が数多く現存し、自分が知らない事に驚きます。此処には有史以前から今も変わらない人跡未踏の雪山や氷河、0m地帯の広大な砂漠や標高5000mの草原、アジアの大河の源、幾百千年来の隠れ里等など、枚挙に暇の無い非日常が今も生きています。大地と太陽・水と植物・自然の恵みを友に、人口エネルギー消費ゼロで暮らす人々も沢山います。この地域の総面積は日本の国土の20数倍・北米の面積にも相当し、此の地の地下資源を世界は注視してます。近い将来の「地下資源&エネルギー」枯渇時に、工業生産國は衰退・崩壊する「現代文明の病理」を背負ってますが、内陸アジアは背負っていません。でした。今は状況が変化してます。この問題を4章「黙示録」で考察してます。21世紀以降の急速なグローバル化(市場経済化&軍事化)は環境破壊と共に、この地にも押し寄せてます。