白岩吉明オフィシャルサイト 横断山脈:7 茶葉古道・世界遺産 麗江:2 |
茶馬古道と麗江 出典:click |
茶馬古道とは、雲南・四川の「茶」「砂糖」「塩」などの生活必需品を馬の背に乗せチベット・インドに運び、チベット・インドからはヤク、羊などの毛皮類を持ち帰った交易路である。麗江(大研鎮)は、雲南・四川・チベットの交通の要衝で、チベット高原から雲貴高原へと横断する山間部に位置し、海抜2400メートル余、気候は温暖で、高冷地や低熱地から来る馬(マーパン)と呼ばれる隊商の商人はこの環境にうまく適合することができた。1940年代半ば、麗江には商店が1200軒、商号は110余りあり、雲南南部の茶・砂糖・絹織物、チベット産の毛皮・冬虫夏草などの漢方薬材、チベット経由のイギリス製の毛織物やタバコ、スリランカのサフランのほか、麻布・銅・銀製品などが集められた。推定では、雲南・チベットルートの「茶馬古道」を往来した貨物は年間約2万5000隊、麗江に到着したのは1万隊余りと考えられている。文化的にも、チベット仏教(ラマ教)は、麗江に伝えられた後は南下せず、漢民族の仏教と道教は麗江に伝わった後は北上しなかったといわれている。そのため、麗江では、チベット仏教、漢民族の仏教・道教、土着のナシ族のトンパ教などの文化が融合する地区となった。 |
麗江古城の敷地面積は3.8K㎡、住宅6200戸に25000人の人々が居住しており、その人口の67%がナシ族で構成されています。また人口の約30%の住民が金銀細工、毛皮加工、醸造などの手工業と商業に従事しています。麗江古城の歴史を辿るとナシ族と深く結びついています。ナシ族の祖先は青海チベット高原?羌族の一派で、8世紀ごろ南下し麗江に住み着くようになったと考えられています。ナシ族は当時から象形文字のトンパ文字とナシ古楽、舞踊で民族の文化を伝え、自然崇拝のトンパ教を信仰していました。麗江古城は雲南各地の民族文化やチベットの影響を受け、13世紀の宋の末期から元の初期に独自の景観として建造され、明の時代になってから現在見られているような規模の街並みが完成しました。1996年に起きた地震でその街並みは大きな被害を受け南宋時代の木氏土司による城が崩壊しましたが、多くの木造建築は崩壊することがありませんでした。そのため従来の木造建物はそのまま残して、かつてと変わらない美しい街並みへと修復しました。そして1997年にこの地で発展した独特の伝統文化と風光明媚な自然環境の重要性が認められ、ユネスコ世界遺産に登録されました。 出典:click
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麗江雑記帳 出典:click |
麗江古城は麗江のレトロな旧市街で街の形が大きな硯に似ていることから「大硯鎮」とも称され、雲南省北西部の横断山脈と雲南中部高原の間の標高2400mの周囲を丘に囲まれた高原に位置しています。街の北西部には雲南を代表する有名な観光スポットである万年雪を頂く玉龍雪山がそびえています。昔から麗江古城は雲南省とチベットを結ぶ重要な商業の集散地として栄えてきました。 |
麗江の民家 街の建物のほとんどは二階建てで瓦葺きの木造建物で「三坊一照壁」や「四合五天井」と呼ばれる建築構造が多く、窓格子?格子戸に繊細な彫刻が施されています。また茶馬古道の要所とされていたので民家の多くは商店としての機能も持っており、街路の両脇の数多くの商店が立ち並んでいます。 |
麗江の四方街 表通りの東大街を南へ進むと古城の中心地として四方街があり、大きな大水車が麗江古城のシンボルとなり、多くの人々が往来する中心広場的存在となっています。ここから石畳みの道が放射状にのび、路地に敷き詰められた石畳は麗江で生産した五花石が使用されています。四方街は4000㎡の広さを誇る広場で、毎日、ナシ族のおばさんたちがここでナシ舞踊を披露し、周りはお店やカフェが軒を連ねて並んでいるので、ショッピングとして絶好のポイントにもなっています。そして、広大な古城の中で観光客やツアーの集合場所としても活用されています。 |
麗江の三眼井 自然を崇拝する麗江のナシ族は水と共に生き、水を重要な生活資源として活用しています。麗江古城の水路には「三眼井」と呼ばれる井戸があり、上流からの水を飲料用、炊事用、洗濯用の三つの貯水漕に分けられています。美しい水を保つ為に午前10時前は水路で洗濯をしないことが麗江古城のマナーとなっています。 |
麗江の橋 麗江古城は橋が多いことでも有名で、石のアーチ橋、石板の橋、木板の橋など354箇所に架かっているとされており、敷地面積から計算すると93ほどの橋が設置されていることになります。また、アーチ橋はほとんどが明や清の時代に建造されたものです。四方街と五一街の間にある大石橋が最も有名で、明の時代、麗江の土司木氏により造られ、長さは10m、幅4mの石畳のアーチ橋で水面に玉龍雪山の影が映ることから映雪橋と言われます。 |
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